HAIKU HONYALALA Vol.4 BOURBON KOBAYASHI

November 29,2014 /

ハンドサインというものがある。僕が良く知るのはストリートギャングたちのハンドサインだ。自分たちのクルーや、そん時の気持ちをハンドサインで表す。言葉を出さないで分かり合える。そこにきて最近巷をにぎわしているハンドサインがある。それは『BKサイン』というものだ。『BK』とはBURGER KINGでもないしBROOKLYNでもない。なにを意味するかって?それが知りたきゃ「増補版-ぐっとくる題名(中公文庫)」をチェックしてくれ。(smallest)

ブルボン小林の俳句ホニャララ / vol.01

 野球選手は野球のユニフォームを着ている。お相撲さんはまわしを巻いている。昔も今もそうだ。 漫画家はベレー帽をかぶっている。ラッパーはだぶだぶの服を着ている。本当だろうか。 漫画家がベレー帽をかぶっている印象は、手塚治虫や藤子不二雄によって植え付けられた。どちらも漫画の神様のような大きな存在だったから、印象に残って当然だ。 でもその二者以外、実際にベレー帽をかぶった漫画家をみたことはない。漫画家ではない人が漫画家然とふるまう際に、むしろウケ狙いでかぶる。漫画化=ベレー帽の「イメージ」は広く共有されているが、皆が本気でそう思っているわけでもない。 では「俳人」はどんな印象だろう。 多くの人が思い浮かべる俳人の印象は「短冊に筆でサラサラ書きつけている人」だ。十人中九人はそう思っているとみていい。ほとんどスポーツのユニフォームのようにそれは認識されている。 いわば「和」だ。句会をすると言うと大勢が浮かべるイメージも「和室で和装」だ。俳句ではないが、歌人(短歌をする人)の友人も同様のことを言っていた。テレビ番組の企画の短歌会に出演したら、セットがもろ「和」で、楽屋に和服が置いてあって面食らったという。 実際の句会で集う人々は皆、普通の格好だ。「短冊」は用いるが、色紙のような堅い紙ではない。誰かの勤め先の事務用紙の保古を刻んだものだ。筆記用具も筆ではなく、ボールペンやシャープペンシルだ。 そういう誤解は、専門的な世界では必ずあるものだろう。  八十年代の大ヒット映画『ベストキッド』シリーズは、本筋(空手を通しての少年の成長そして恋)とは別に、勘違い日本を描いた部分が面白がられる。ただの格闘技ではない、東洋の神秘的なムードが(魅力的なこととして)強調されているが、当の日本人からすればなんじゃこれ? という場面の連続だ。 北野勇作に「七人の侍でみたような田植え」という句があるが、八十年代当時の日本でも大規模な機械作業が当たり前のはずの農耕場面が、『ベストキッド2』ではまさに黒澤時代劇の如く描かれている(北野俳句はベトナム旅行の際のものだ)。 しかし同時に、作中の若者達が着物やもんぺではない、当時の若者らしい服装で盛り場でデートする場面も描かれている。ヒロインが「もう古い時代ではないのよ」的に主人公(米国人)の誤解を解こうとするセリフさえある。 しかし『ベストキッド』をみて笑う日本人の多くが、こと「俳句をする人」については「和装で短冊に筆」を思い描いてしまう。 ……もしかして、それを期待されているのだろうか。 現役のプロ野球選手が野球を教えにきてくれる、と聞いて勇んで市民球場に向かったら、ユニクロきた男が立ってて、えぇ? この人? いやたしかに普段はユニフォーム着てないだろうけどさあみたいなガッカリ感があるんだろうか。短冊に筆じゃないと。 俳句や短歌をする人は、その誤解や期待を苦笑してやり過ごしている。句会を和室で絶対にやらないわけでもないし、筆で書かせても達筆な俳人も無論、大勢いるから、誤解といってもまったくの嘘でもないし。 ……でも、ナンカコー、もっとこう「言っていっていい!(itte-itte-ii!)」と思った。「筆に短冊じゃありませんよ」と。筆文字のもたらす格好良さではなく、書かれた中身こそが俳句本体のはずだからだ。 我が俳句同人『傍点』が、さきごろ雑誌デビューを果たした。小学館の『Fライフ』3号で、藤子・F・不二雄句会と銘打って藤子F俳句を十三句掲載したのだ。 小学館から届いたゲラをみて、あぁ……と思った。題名はすべて行書体で書かれ、背景には葛飾北斎風の波があしらわれ、下に添えられたイラストのドラえもんの手には、ごぞんじ「筆と短冊」。 やっぱりね、やっぱりね。 藤子作品を俳句にするということ自体が、モダンな(邪道な)作句行為だともいえるし、俳句に親しみのない雑誌読者には「和」のイメージの方が親しみやすいかしら、と実はかなり悩んだ。悩みに悩んだ末のダメ出しでどうなったか。ドラえもんは短冊にボールペンという不思議な姿で俳句に取り組むことに。変だなあ、と思う。 思うが、このドラえもんの姿こそ、現代に俳句を作る者の悩みや考えが途中経過として立ち表れた、「考えの象徴」のようにも思える。我々のやるふるまいが、もしかしたら藤子・F・不二雄氏のベレー帽のように、唯一無二の新たなトレードマークとなるかも しれない(大きな夢想ではあるが)。書体や背景はどうなったか、ぜひめくって、「和」のイメージだったらどうだったろう、などと想像して楽しんでみてほしい。

今日の俳句

 季語と、季語にややそぐわない事柄を取り合わせれば、いっけん俳句はそれらしくなる。寒い日の続く中、ふと訪れた小春日のほっとする気配の中、次にくる言 葉が呪いの面。それだけなら、狙った「そぐわなさ」にみえるだろう。 修理するとぶっきらぼうに言うことで、呪いが宙に浮いたようになる。かつて呪術に用いられていただろう骨董的なお面の質感や、作業する人の指先、表情まで 浮かぶ。すると今度は小春日がとても静かなものとして立ち表れるのだ。

Fライフ3号(小学館) 藤子・F・不二雄生誕80周年記念本第3号 俳句同人「傍点」の藤子・F・不二雄句会の内容を掲載。

増補版・ぐっとくる題名(中公文庫) テレビ、ラジオのディレクターや雑誌編集、広告などあらゆる「業界」人が絶賛する隠れ ロングセラーが、ついに文庫化。題名つけに悩むすべての人に送る、ありそうでなかった 画期的「題名」論をさらに増補。論だけど読みやすい! イラストも朝倉世界一氏による新規かきおろし!

春のお辞儀(ふらんす堂刊) 俳句ホニャララの作者が本名で刊行した第一句集「春のお辞儀」絶賛発売中。 最初で最後の活版印刷で限定発売。

俳句同人 傍点 2014年結成の俳句同人。主催(主宰にあらず)は長嶋有。 ツイッター上の言葉遊びをきっかけに、作家、漫画家、造園業、主婦、心理学者、 学生、デザイナー、官僚など幅広い職種のメンバーが集う。 句会では誰もが点数に拘泥し、逆選の応酬でギスギスと盛り上がる。 同人名の由来は、主催が傍点好きでやたら文章にふることと、俳句とは、 それ自体が世界に傍点をふるような行いだというこじつけから。

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ブルボン小林

ブルボン小林

72年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。 00年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。 常にニッチな媒体を渡り歩き、北海道新聞、週刊文春などのメジャー誌から、スウェーデンの雑誌やメルマガなどでも連載。 06年刊行の「ぐっとくる題名」(のちに中公文庫)は、広告業界やテレビ局の人間など、あらゆる「命名する」世界の業界人たちから絶賛され、ひそかな小ヒット。 現在は朝日新聞(関東と九州)、女性自身などで連載。小学館漫画賞選考委員。 その他の著書に「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」(ちくま文庫)、「ゲームホニャララ」(エンターブレイン)、「マンガホニャララ」(文藝春秋)など。 ブルボン小林 公式サイト

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