HAIKU HONYALALA Vol.3 BOURBON KOBAYASHI

September 24,2014 /

前回の俳句ホニャララを受けて、NHK俳句を見ていたら、ゲストが平然とタートルズのTシャツを着ていた。 NHKだから?俳句だから?一発撮りだから?なんとも言えない緊張感が番組全体に流れていた。 しかしタートルズのTシャツはそんなこと気にせず、やたら陽気で愉快な奴らのまんま。天下のNHKにまったく合わせてない。ピザのことしか考えてなさそう。 すんげー格好いい。きっとあのゲスト、ただ者ではない。(smallest)

ブルボン小林の俳句ホニャララ / vol.01

四月に句集を刊行した。 句集を刊行するにあたって、僕は身近な俳句仲間たちに声をかけて「同人」を結成した。 句集の巻末の「略歴」の最後にもそのように書いた。 「一四年 同人誌『傍点』を立ち上げる」と(実際にはそう書いてから、身近な俳句仲間に声をかけたのだが)。 読者の多くは「へぇ」とか「そうなんだ」と思っただろう。 句会イベント『東京マッハ』仲間の米光一成さんだけが、疑義を呈した。 「同人誌をたちあげる」ってどういうこと? と。 僕は思った。 バレたか、と。

作家や俳人や詩人の履歴によく載っている、普通の言い方は「**年 同人誌『○○』を創刊」だ。 志を同じくする者が集まって、ともに俳句を(詩を、小説を)やろうぜとなったとする。そしたら、その活動を発表する雑誌を作る。刊行したら、それこそが活動の始まりだ。「履歴」に書き残すのもそこからだろう。 あるいは、バンドで考えてみてほしい。「俺らでバンドやろうぜ!」「いいね!」仲間同士、居酒屋で盛り上がった。そこまではまだ「デビュー」ではない。なにもしてないから、履歴にも書けない。 「バンド名はどうする?」「**にしよう!」バンド名が決まる。ここまでもデビューではない。 音源を発表するか、ライブハウスで演奏する。そこからがそのバンドのデビューであり、履歴の始まりだ。「七八年『勝手にシンドバッド』でデビュー」だ。「**大学軽音楽部のメンバーで結成」と書かれることもあるが、それは功なり名を遂げたバンドの履歴にのみみられることで、まだ結成だけで「結成」とうたう履歴は、おかしいだろう。 僕が句集の巻末の略歴に「同人誌を立ち上げる」と書いたのは、居酒屋で盛り上がり、せいぜいバンド名を決めた時点で「デビュー」と書いたに等しいことなのである。 だが、ギリギリ嘘は書かなかった。「同人誌を創刊」とは書かずに「同人を立ち上げ」たのだ。居酒屋で「やろうぜ!」と言い合ったと(嘘じゃなーい、セーフ!)。 そういうことを見逃さない米光さんに対し、感嘆と舌打ちを覚えつつも、そうまでして略歴に書きたかった理由を(そんなの読みたい人いるか分からないが)今回は語ろう。 先のバンドの例だけど、居酒屋で急にバンド結成話で盛り上がる時、そこにはとても甘美ななにかがあるはずだ。楽器ができない者も、先々練習するという前提で(苦労をまるで考慮しない軽薄さを伴って)「おまえベースな」「できるよ大丈夫」などと励まされ、そうかなーエヘヘとなる(出来る気になる)。「(はいっ!と不意に挙手して)私、小学五年までピアノ習ってた!」「お、○○ちゃんはキーボード決定!」「おいおい、言っとくけど、バンド内恋愛は無しだからな」「ハハハ」みたいに言い合う。そこには理想の高い奴もいることだろう。「俺、女の子がキーボードってバンド、嫌いなんだ」「女の子がギターかドラムってのがいいよね」「えー、出来るかなー」「できるよ、大丈夫」「あ、こっちウーロンハイおかわり!」……。 「今」している話なのに、誰もが最良の「未来」だけを思い、気持ちはとろけあう。小さなライブハウスの楽屋の壁にサインをする夢想から、アルバムリリース、ハイエースから移動は新幹線に、相次ぐ取材、表紙、二万字インタビュー、武道館公演まで「すぐ」だ。 それを、やりたかったのだ! 思っているうちは、最高の活動になる。 本当にしたら、必ず、最高「ではない」ルートをたどることになる。 つまり、本当に同人誌を作ったら、大変だし、特に面白くない。もう僕はその大変さを知っている。九十年代に一度、俳句の同人誌をやったから。 いや、実際には、「特に面白くない」ことはなかった。むしろ、面白かった。そこでは僕は若造で、編集長ではなかったから苦労が少なかったというのもある。それでも、インデザインの前のクオークエクスプレスを遅いmacにインストールしてDTPを手伝ったり、なぜか十条にある印刷所に受け取りにいき、出来立ての同人誌を抱えて喫茶店にドカドカ入り、流れ作業でせっせと封筒に詰めて発送する地味な作業も楽しかった(僕はいつも切手貼り係だった)。 その紙面がまったくの無価値だったとも思わない。対談や読み物など、今めくってもみどころがある。当時の年上の面々のセンスやみなぎりをみてとることもできる。 だけどもそれは持続しなかった。刊行ペースは緩慢になり、同人も減り、やがて出なくなった。 無意味ではなかったが、ヒットチャートに武道館といった「絵に描いた」ような空想上の成功にもならなかった(そんなの当たり前で、いくばくかのやりがいを見いだせれば十分なのだが)。 その後、誰かから俳句の同人誌をもらうことが何度かあったが、ろくにめくったためしがない。どの同人誌にだって、志や、かつての我々が盛り上がったのと同じワクワクをうっすら感じ取れる。でも、まあ、読まない(俳句は、多すぎる)。それで気付いた。せっせと郵送していた自分達の同人誌も、きっとほぼ、そうされてたんだ。当たり前に。 今、ともに俳句をする若者から感じ取る熱気に、僕は覚えがある。自分が高揚していたときに内側から出ていた熱を今は外から感じ取っている。 そして今は僕は年上だ。かつての同人誌の編集長たちみたいに、持てる力や経験を発揮できるときだ。 だけど僕の経験には苦さもすでに込みになっている。「ほぼ誰も読みやしない」「続けるのが大変な」同人誌というやり方を、同じに踏襲していいのか。 判型を変えるとか、ビジュアル的な要素をいれるとか、過去のやり方での停滞を踏まえ、さまざまにオルタナティブなトライをする人もいるだろう。 でもそもそも「同人誌を創刊する」こと自体から疑ってもいいんじゃないか。 「同人誌を出さない」というアクション自体が批評にもなるという考えは、句集の略歴のときに明確に定まっていたわけではない。 「なにかを立ち上げた」と、まず「言って」、それから考えよう。句集は一冊出したら数年から、長ければ二十年後くらいまで二冊目は出ないものだから、ずっとその略歴が名刺のように人の目に触れ続ける。 居酒屋で「東京ドームで一曲目からドラムセット破壊して」「またしても俺ら、伝説を作ってしまったな(←過去形で)」とかいいあってる軽薄さを、本気で思って書き記したのでもある。 我々が無邪気に、夢みるときの始めに抱く「甘くとろける最良の未来」は、バカにするようなことではない、むしろ飛躍のための大事な鍵だ。 その恍惚を持続するためにはどうするか。「正解」し続けるしかないのだ! たとえば同人誌ではなく、「(少しでも)読んでもらえる」場所でやろうと志向する。そうでなければ、かつての経験を踏まえたことにならないし、踏まえないのならばそれは、なんの経験だったんだよ、と。 そんなことを思っていたらこれがあなた、おあつらえむきの話がきたんですよ。 小学館のムック本「Fライフ」の次号にて、藤子・F・不二雄句会を行い、藤子F俳句を掲載する。それが我々の同人「傍点」のデビューということになった。 それ!そういうの! 我々は、主に「ギャラが出る媒体」で俳句を披露するイロモノ的な集団になろう。ただ同人誌を出すよりも多くの目に触れるし、素通りされて(読者がいなくて)もギャラがあればモチベーションになる。 これまでも僕はダヴィンチだとか東京カレンダーだとか、さまざまに変な場所で俳句を頼まれ、こなしてきた。それは他のまっとうな俳人がしていない(というか普通、しない)経験のアドバンテージでもある。 そんな変な「やり方」で経験を積んでしまった若者が二十年後にどんな俳句を作り語るだろう。 傍点「一座」の俳句に以後、ご注目あれ、というわけだ。 ところで、なぜ「傍点」という同人名にしたのかは、ここか、どこかで語ります。とっさにつけたので、これまた後付けのこじつけですが。

 

今日の俳句

 手、膝、上、置く。助詞の間に短く入る単語がリズムを生み、栗御飯に向かう気持ちや、栗御飯それ自体のことを表しているかのようだ。俳句は省略が大事で、これは「手は膝に」まで縮めてもよさそうだが、ときには「わざわざ」言わなければ、かしこまった気分にならない。 意味だけをとれば、お行儀のよさ=子供の様子を描いた句だと解釈する人もいるだろう。俳句の中でそういった「かわいい様子」や稚気を描くと、すぐ「子供たちの様子」と解釈されるきらいがある。そうではない、大人が作った句なら、それがどれだけかわいらしくても無邪気でも、本人の発揮した稚気だと僕はいつも思うことにしている。

 

春のお辞儀(ふらんす堂刊) 俳句ホニャララの作者が本名で刊行した第一句集「春のお辞儀」絶賛発売中。 最初で最後の活版印刷で限定発売。

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ブルボン小林

ブルボン小林

72年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。 00年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。 常にニッチな媒体を渡り歩き、北海道新聞、週刊文春などのメジャー誌から、スウェーデンの雑誌やメルマガなどでも連載。 06年刊行の「ぐっとくる題名」(のちに中公文庫)は、広告業界やテレビ局の人間など、あらゆる「命名する」世界の業界人たちから絶賛され、ひそかな小ヒット。 現在は朝日新聞(関東と九州)、女性自身などで連載。小学館漫画賞選考委員。 その他の著書に「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」(ちくま文庫)、「ゲームホニャララ」(エンターブレイン)、「マンガホニャララ」(文藝春秋)など。 ブルボン小林 公式サイト

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