HAIKU HONYALALA Vol.2 BOURBON KOBAYASHI

August 06,2014 /

俳句ホニャララの連載を頼んでから、ブルボンさんの句会に参加するようになりました。そのおかげで、毎月ブルボンさんに会っています。連載を頼む前は「ファミ詣のファミコン大会のソフト決めの日」、「ファミ詣の当日」、「ファミ詣の打ち上げ」の3日ぐらいでした。が、今年はすでにその日数を超えています。なるほど、前よりも見えてきました、ブルボンさんの人となりが。 ブルボンさん、意外に背が高いですね。(smallest)

ブルボン小林の俳句ホニャララ / vol.01

「NHK俳句」をみたことがある人はどれくらいいるだろう。早朝、教育テレビ(現在はEテレというらしい)で放送している地味な三十分番組だ。 俳句にまつわる番組だから、俳人達は皆みているかというと、僕の周囲の俳句仲間に関していうと、全然だ。皆、番組の存在は知っているが、特にみたりしない。 句会でも「NHK俳句で褒められそうな句」という評をしたりする(もっぱら、向日性のある、おとなしい句をいうことが多い)。 「NHK俳句のような読み方」という言葉もある。本職のアナウンサーが、抑揚を付けてかっこよく俳句をゆっくり読み上げるような、という意味だ。「美人だが面食いでしたちゃんこ鍋」みたいなバカバカしい句をわざとNHK俳句調に読み上げると座が沸き立つ(同じ句を二度繰り返して読むのも真似のポイントで、二度目の抑揚が少し変わるのが醍醐味と、これは千野帽子氏の言葉)。 たとえば身近に「野球をしている」人がいたらそれは大抵、地元の草野球だろう。会社の野球部に所属したり、稀にはプロ野球選手もいるか。でも、まあ同じ野球だ。球場やボールの企画はある程度統一された中、同じルールであれをやっている。 「俳句をやっている」人は、そうではない。一口に俳句をしているといっても、人によってやり方は様々なのだ。結社や同人に入って句会をする人と、新聞の俳句欄にずっと投稿し続ける人との間にはどことなく隔たりがある。参加の仕方だけではない、作品にも差があらわれる。「おーい、お茶」のペットボトルに載っている俳句と、新聞と、NHK俳句と、それぞれに「その場所」のムードが別々にある(結社や同人での句会参加も含め、そのすべてを網羅しているという俳人に出会ったことがない、やはりめいめいが居場所を定めているのだ)。 今回は、本職の俳人たちがあまり語らないNHK俳句というものの面白さ、不思議さを語りたい。

05年にロスのホテルで深夜にみたNHK俳句を覚えている。ロスでは日本人向けにNHKをやっていて、時差で深夜になるのらしい。異国のホテルの真夜中の気配に、淡々と静かな番組がとても似合っていた。だが、途中の「添削コーナー」をみて、旅疲れでぼんやりした気持ちがはっとした。 視聴者から送られてきた投稿句のうち、入選できないレベルの句をフリップに用意して、赤マジックで先生が直していくのだ。「ここは、助詞が『の』ですとぼんやりしますので、切れ字の『や』にしまして……」とか、先生の口調はおだやかだが赤マジックはがんがん入りまくる。えー、いいんですか? そのときの句を忘れてしまったが、なんだか(元の方がよい句だったんじゃ……)と思ったのも覚えている。 視聴者と番組という関係において、そんな過激なテレビ放送を、ちょっと思いつかない。街頭インタビューに登場した一般人のファッションセンスをピーコがダメ出しするとか、そういうのはあったけども、あえて過激な口調でダメ出しをしているバラエティのそれと比べても、あくまでも静謐な様子でばっさり否定する方が印象が強い(この「添削コーナー」は事前に、添削してよいかどうか句の作者に確認をとっていると後で教わったが)。なんだか忘れがたかった。 その直後くらいだろうか、「NHK俳句」へのゲスト出演依頼があったのは。出演に際し、僕は自らお願いした。「あの添削コーナーで、僕の句も添削してください!」と。絶対に、そうした方が面白いと思ったのだ。 先生は面食らっていた。長い放送内で添削をお願いしたゲストは僕だけらしい。フリップも記念に持ち帰った。 それから数度出演して、そのたびに添削してもらっている。もらっておきながらこんなことをいうのもなんだが、添削前と添削後で、どっちが「良い」句か、分からない。たとえば 見られれば歌うのやめる寒の明け という自作は添削によって 寒の明け見られて歌うのやめる と、かなりの破調になった。 先生は「たら、れば」を言うと説明的だからと嫌ったのだろうが、五七五のリズムは捨てたことになる。なにをより優先するかという先生の考えが伺える。でも、これは放送内でもさすがに「え、これでいいんですか?」と聞き返してしまった。……「いいんです」と先生がきっぱり仰ったのは(元々大したことない句だから)ということも含意されていたかもしれぬ。 ぼた雪をみる目の黒し雪達磨 は、 降る雪をみる瞳濃し雪達磨 となった。こっちはなんだか分かる。助詞を減らしてシャープにし、(動かない)雪達磨に対して「降る」と言うことで景色に動きを与えて対比させたのだ。しかし、ロスで僕が思ったように、アノー、前ので別によくね? と思う人もいるはずだ。 それはしかし、「添削なんて無意味」ということではない。前のがよくみえるのにも理由がある。人はわざわざ脳をつかって記憶したものを、それだけで少し愛しく思うのだ。だから既に一回覚えた方の句の方が、後のプランよりもわずかに愛しい。また、一人だけの力で生まれたものの方が、(下手くそでも)無垢なものにみえる。だから「他者」が赤マジックを入れる現場にヒヤリとした気持ちを抱くのでもあろう。 俳句は数学ではないから「正解」はない。街頭で二択のアンケートをとったら、先生が直した句がよしとされるとは限らない。 先生も、先生だけど、同時に実作者だ。投稿者たちと同様に目下、俳句を作り続けている途上の人だ。だからこそ、こっちが「よりよい」と(自分の思うところを)毅然と言い放つ。その姿が、みどころだし、先生達の先生としての矜持を感じさせるところだ。静かさの中に生々しいライブの面白さが添削コーナーにはある。 それで、この八月、夏休みスペシャル(?)ということでまたしても出演することになった、僕が。しかも三週連続でだ。普段の放送と趣向を変え、視聴者からの「今さら聞けない質問コーナー」を設けるという。僕はなんというか、初心者代表だ。今回は添削はしてもらえなかった。3日に放送された季語の回は視聴者の質問がつまらなくてのらなかったが、二週目三週目は面白かった。 放送内で、こんな質問があった。 「切れ字を二つ使ってはいけないのでしょうか」リハの時にどう答えたらよいか悩んでいた先生だが、本番では簡潔に「切れ字は一句に一個です」とだけ答えた。 実際には俳壇でも議論がある問題だ。切れ字「や」と「かな」を一句に二つ用いた名句というのもある(興味あれば各自で検索してください)。本当は、楽屋で聞いた先生の考えのすべてを聞かせたいものだったが、短い放送時間で持ち出すには難しいところだった。 放送中、なるほどなるほどと相槌をうちながら、僕は僕で思っていたことがある(やはり収録時間が短くて言えなかった)。 「切れ字を二つ使ってはいけないのでしょうか」と質問せずに、やってみたらいいじゃん、と。なぜ可否を他人に問うんだろう。 切れ字を二つ使った句をたくさんトライして、人に評価を仰いで、反応をみて、実感すればいいんじゃないか。既に先人のトライがたくさんある世界だ。釘に弾かれたパチンコ玉が大抵は下の口に吸い込まれるように、「切れ字は一句に一つ」という、大勢がたどり着く結論に、やはり達するのかもしれない。 でも、やってみて実感した失敗は無駄じゃない。僕は結社に入らず、新聞やテレビにも投稿せず、我流で勝手に俳句を作ってきた。切れ字どころか「なんで五七五なんだろう」というところから疑った。 たとえば歌謡曲でも、七五調で朗々とした歌なんてほとんどなくて、もっと言葉を詰め込んだJ-POPが席巻しはじめた時代だ。僕は五九四で俳句をトライしてみた。 それで、五七五が強いなと実感したのだが、教わったのではない実感を得たのだ。どうして五九四は弱くて五七五が強いのかはここには書かない。皆も、めいめいで実感すればいい。 誰も禁止していないし、失敗しても笑われるだけで死なない。 また、そのように我流でやるのは「NHK俳句」のように添削するやり方を否定することでもない。この番組は生放送ではないが一発撮り(三十分の番組を三十分で収録する!)のスリルの宿った、静かだがエキサイティングな放送だ(添削コーナーがフリップに手描きでなくなったのがとても残念だ)。 ニコニコと学ぶ姿勢で、どさくさで図々しく添削してもらうようなふるまいで、僕は「そこ」とも繋がっていきたいのだ。 (ブルボン小林が本名で出演する「NHK俳句」は8月10日、17日の朝Eテレで放送!)

実際に番組中に添削してもらったフリップ。 フリップの背後の淡い色合いも番組らしさを表してます。

 

今日の俳句

 メロンは一人で食べる果物ではない。一人で一個食べない。必ず分けて食べる。 それが二人ならまず半分に、三人ならもう一回半分にきって(一つにはラップをかけて)、四人以上でも、いくどかは「半分に」切る。 作者は、あるときある一つのメロンに具体的に起こった(起こした)ことを句にしたのかもしれない。だが、常に起こる、起こってきたメロンというもの自体のことがここに残った。食べられる前のメロンと、メロンにむかう人の気持ちや所作までがずっと保存された。 西瓜も同じようにするが、この句は生まれないだろう。(一太刀で)そうしているスムースさが、俳句の短さのテンポと結びついている、だからメロンにのみ似合っているのだ。

春のお辞儀(ふらんす堂刊) 俳句ホニャララの作者が本名で刊行した第一句集「春のお辞儀」絶賛発売中。 最初で最後の活版印刷で限定発売。

NHK俳句

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ブルボン小林

ブルボン小林

72年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。 00年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。 常にニッチな媒体を渡り歩き、北海道新聞、週刊文春などのメジャー誌から、スウェーデンの雑誌やメルマガなどでも連載。 06年刊行の「ぐっとくる題名」(のちに中公文庫)は、広告業界やテレビ局の人間など、あらゆる「命名する」世界の業界人たちから絶賛され、ひそかな小ヒット。 現在は朝日新聞(関東と九州)、女性自身などで連載。小学館漫画賞選考委員。 その他の著書に「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」(ちくま文庫)、「ゲームホニャララ」(エンターブレイン)、「マンガホニャララ」(文藝春秋)など。 ブルボン小林 公式サイト

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