HAIKU HONYALALA Vol.1 BOURBON KOBAYASHI

June 20,2014 /

ブルボン小林さんとの出会いは吉祥寺の雑貨屋「METEOR」。はじめて読んだ本は「ぐっとくる題名(中公新書ラクレ)」。それから、朝までファミコンを楽しむイベント「ファミ詣」で解説者と司会という立場で共にマイクを握り、おっかなびっくりの時期を乗り越えここに、連載を頼むことができました! その名も「俳句ホニャララ」。「ゲームホニャララ」「マンガホニャララ」と、ブルボンさんのホニャララシリーズをLIKE THISで連載して頂けることは、個人的に感慨深いです。 知っていて全く知らない俳句の世界、ブルボンさんが優しくドアを開けてくれるでしょう。 さあブルボン(さん)!好き勝手書いて(ください)しまえ!(smallest)

ブルボン小林の俳句ホニャララ / vol.01

俳人には俳号というのがある。俳句をするとき用のペンネームだ。 夏目漱石の漱石とはもともと俳号だった(俳句誌に小説でも書いたら、と友人に勧められて『我輩は猫である』を書いたのだ)。 俳句をする人は絶対に俳号をつけなければいけないわけではない。別に本名でやってもいいんだが、「なんとなくつけるものらしい」「つけた方が楽しいぞ」というノリが(90年代当時、俳句を始めた仲間同士の間に)あって、僕もつけた。 しばらくその俳号で活動していて、公式サイトでも俳句の活動はその名義で告知していた。 あることがあって、08年に俳号をやめた。 だが、wikiペディアとかに載ってるせいか、取材等で「たしか俳句は○○という名前で活動されてるんですよね」と言われ続ける(wiki ペディアの情報は不正確もしくは古いものである場合がある)。 ややこしいことに、僕は本名と、ペンネームのブルボン小林と、二つの名前を使って活動している。だから「三つもの名前で多彩に活動」みたいに記事にした方が面白いぞ、と向こうでも三つ目を勘定に入れたいらしいのだ。 そういう理由なので、「○○という名前で活動されてるんですよね」と質問してくる人が、その活動をつぶさにみてくれている気配は全然ない。ネットに載ってたトリビアを話の枕に言ってみてるだけという気配が濃厚だ。面倒くさいし、なんか嫌だ。愛の薄い質問だ。 「なぜ俳号をやめたんですか」という質問をされることも結構あって、それも「本当にそんなに聞きたい質問なの?」と内心いぶかしく思う。「○○の名前での活動が大好きだったのに」みたいな前段は特に感じられないのだが。 08年、俳人の山本紫黄と句座を共にした……今、「句座を共に」なんて格好よくいってみたが、単に「一緒に句会をした」ということだ。そういう「言い方」で格好よくみせる感じや、そのための(?)言葉が俳句の世界には良くも悪くもたくさんある。 高円寺の狭い喫茶店を貸し切った小規模な句会で、年長のコワモテが集まるとは聞いていたが、早くから来て、びしっとスーツ姿で寡黙に座り続ける紫黄さんは、目つきがとりわけ怖そうだった(実にいい古び方のオメガが袖から覗いていた)。 (あの、怖い人の隣になりませんように)と思っていたら隣になってしまった。肩を常にすぼめて(ぶつからないように←俳句の内容で気をつけるべきところなのに、完全に間違っている)恐縮しながら句会が始まった。 僕はそのとき「サンダルで走るの大変夏の星」「水筒の麦茶を家で飲んでおり」という句をだした。なんというか、自分でいうのもなんだがバカみたいな句だ。特にサンダル。 だが、そういう軽い俳句でこれまでやってきたのだ。ことによってはドヤされるかもと思った。 「なんですか、これは」そういう失笑や呆れだったらまだマシだ(そういう反応も慣れてる)。「ヘヘヘ、スミマセンいつもこんな句なんですヨー」と頭をかいてやり過ごす(気持ちの)準備だけしておいた。 その、コワモテの紫黄さんが、なんとサンダルの句を特選(最高点)に選んだのだ! 口を極め、麦茶もあわせて二句とも褒めて下さった。ファー(緊張ほどかれる音)! 句会の後は必ず酒宴になる。酒を飲みながら話すようになると紫黄さんはとても優しい、ダンディな人で、すぐに大好きになった。「湯豆腐や真つ暗な部屋両隣」「春雨や音楽は木の校舎より」など、彼の俳句も素晴らしかった(なんと軽やかな)。 何度目かの句会の際(もう特選など到底もらえなかったがドヤされないのは分かってたのでこっちも楽ちんに接していた。俳句は一句でも認められたらその人、その場からずっと認めてもらえることを僕はもう経験で知っていた、多くの人に対する「その一句」を、俳人は常に作るのだ)、いつも以上に機嫌良く酔った紫黄さんは僕に初めてからんできた。 「あなたの、○○という俳号、あれは良くない!」と。 「え、そうですか?」 「でも、もう十年以上も名乗ってるのよ」仲間の俳人が僕のかわりにいってくれたが、紫黄さんは「○○という俳号、あれは良くない!」とだけ何度も(酔ってる人特有のろれつで)繰り返した。 その夏に紫黄さんは亡くなった。大正十年生まれと思えない、しっかりとした背筋で座り、歩く人だったが、たぶん熱中症だったろう。 ○○という俳号がよくないのはなぜかを聞きそびれたが、最後に会った夜の言葉だから、これは遺言だと思った。それをするのに「なぜなのか」を知る必要がないこともある。それで僕は○○と名乗るのをやめた。 「どうして○○をやめたんですか」と今でも問われることがあるので、ちゃんと書いておくことにした。 これは俳句についての連載ということで、入門的なことを書くべきかとも思ったが(そういうのは今、ネット上にも分かりやすいものがあるので)、最初から好きに書いていくことにした。今、僕はツイッター上で句会を啓蒙している。ツイッターは文字制限のあるツールなので、便宜上、参加者に「一文字の」俳号を持ってもらうことにしている。一文字で名を言い合うのは楽しい。深い意味などない名前を付けて、それで全然事足りるじゃん、とも思った。 もちろん、俳人ぽい、意味深い、雅やかな俳号をつけるのも楽しいと思う(鬼とか難しい花の名前とか、いい意味で中二病的なのも俳号の楽しさだ)。ノリでつけてもいいだろう。だけどその先には必ず「考え」が待っている。名乗ることも含めての行為なのだ。 (余談だが、その「句座」に僕を誘ってくれた方から最近になって聞いたが、紫黄さんはふだん「とても怖い方」(!)で、僕の句に怒り出すのではと「不安だった」そうだ! 先に言ってよモー、アブネ、アブネと思ったが、いつも通りにサンダルとかいっといて良かったのだ)

今日の俳句

 桜はもっとも多く俳句でよまれているらしい。歳時記の「桜」「花」の項をめくっても何十も例句がある。だから当然、新たなトライは難しい。だが初心者がつくったこの句が、案外ずっと頭の中で転がっている。 桜は都心でもあちこちに咲く。ソメイヨシノはいっせいに咲くけど、咲き遅れや、微妙に品種が違うのか、そばに植わっていてもまだ咲いていないものもある。我々は桜並木に通りがかると「わぁ、桜だ」とまず思い、次に本当に桜かな、あれもこれも同じ桜か、確信が持てなくなる。 その「気持ち」を説明でなく、疑問を並べるだけで示した。二人で指を差し合っているのかもしれない。雑踏で誰かがいった言葉の連続かもしれない。俳句は季節を尊ぶ遊びで、だから季語が大事なのだが、対象になる季語(桜)に知悉している必要もない。自信のなさもまた立派な「季感」だ。あれ・これ・それも歩いている人のリズムを表していて、案外長く口誦する句になりそうだ。加藤弾はこのサイトの仕掛人であり、この句が「処女作」。

春のお辞儀(ふらんす堂刊) 俳句ホニャララの作者が本名で刊行した第一句集「春のお辞儀」絶賛発売中。 まずタイトルがステキです。最初で最後の活版印刷で限定発売。

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ブルボン小林

ブルボン小林

72年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。 00年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。 常にニッチな媒体を渡り歩き、北海道新聞、週刊文春などのメジャー誌から、スウェーデンの雑誌やメルマガなどでも連載。 06年刊行の「ぐっとくる題名」(のちに中公文庫)は、広告業界やテレビ局の人間など、あらゆる「命名する」世界の業界人たちから絶賛され、ひそかな小ヒット。 現在は朝日新聞(関東と九州)、女性自身などで連載。小学館漫画賞選考委員。 その他の著書に「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」(ちくま文庫)、「ゲームホニャララ」(エンターブレイン)、「マンガホニャララ」(文藝春秋)など。 ブルボン小林 公式サイト

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