GO 2 VOTE.

July 12,2013 /

自分がまだ高校生だったとき「60年代の学生運動は幻想だったんだよ」と母親に伝えたら激怒された記憶がある。 「いったい何を知ってるんだ、どこかの雑誌の受け売りは恥ずかしいぞ」と。 自分で言いながらずいぶん乱暴な言い方をしたなと思ったが、反省は全くなかった、なぜなら知っている知らないじゃなく結果だからだ。あのとき国を動かそうと考えた若者達が、そのムーブメントの感性のままアップデートされていけば彼らが大人になった時、国は変わっていなければならないはずだった。学生運動と名がつくぐらいだからその当時のインテリも参加していたはずだ、いや中心だったかもしれない。どこかの会社勤めて、その中でお偉いさんなった人もいるだろう、官僚になった人だっているかも知れない。 ところがどうだろうこの国がよくなる気配はない、全く変わっていない。(どう良くないかは省かせていただく)あの若者達は何処に消えて、おじさんやおばさんになったんだろう。やはりブームに乗っかった水蒸気のような幻想だったというのが自分の中での結論だった。 翻って今回の参議院選挙を思う。 ミュージシャン三宅洋平が立候補した。吉祥寺、渋谷、東京各所いや全国各地での演説は日を追うごとに人の輪を広げている。熱心に話を聞いている人たちは本当に投票に行くだろうか。今回の参議院選挙の投票率が仮に50%だとしたら有権者の26%の票が過半数となる、よって有権者のたった約4分の1の意見が国民の判断とされる訳だ。三宅洋平の周りに集まった人達がその周りを巻き込み本気で選挙に行けば、彼に投票するしない、当落は別にして国を変える可能性は十分にある。 それを恐れて総理経験者でもある政治家がかつて「投票日に無党派層は関心がないなら寝ていて欲しい」と発言したほどだ。 組織票を持つ巨大既成政党は計算できない三宅洋平に見るムーブメントを恐れている。 「サイレントマジョリティ」もの言わぬ多数派。 ニクソン大統領が使った言葉で、社会的不満でデモやその他の活動が活発になっても、そこに参加しない人々は声を上げない事で現体制を支持しているというニュアンス。日本でも安保闘争に代表される学生運動が盛んになっても、後楽園では普通に野球の試合を楽しめる。つまり、非日常はごく一部、それ以外は平常で声を上げない人はそれを望んでいるという意味で使われてきた。 そこにあぐらをかいてきたのが現在までの政治だ、投票率が低いと棄権した人たちは全て委任し現体制側の票としてカウントされた、膨大な棄権票はその意思や意味も問わずひとくくりにされ黙殺されて来た訳だ。 現在声を上げない人々は、投票しない人々は、本当に体制の黙認者だろうか。むしろ逆だろう、棄権した人たちは政治に辟易し、生活に疲弊し、諦めにもにた感情を抱く、政治不信に陥った人々じゃないだろうか。その票が50%を超えるような事があれば、国民に思考停止を促した一部の人間がほくそ笑む事になる。 誤解を覚悟であえて書かせてもらう「一票で政治は変えられる」と。 東京都の若者は自分を含め反省しなければならない。 自分は改正風営法に賛成する人に今だ会ったことがない、しかし風営法に反対する候補が都知事選に立候補していたにもかかわらず、票は大きく差を開けられて落選した。自らの意思を反映させるチャンスを逸した訳だ。前回の都知事選投票率57%、猪瀬知事が圧勝だった。100%に近い投票率でその結果なら、自分の周りは特異な考えの人間が集まっていたんだなと思う事も出来たのだがそうではない。ちなみに自分は投票した、しかし反省している。 自分だけが投票する、それで終わってはいけない。主張のある棄権票を巻き込み渦にしなければならない、候補者は他の誰かでなく自分自身の代弁者だからだ。伝える事を怠ってはならないという事だ。 将来自分の娘が大きくなって、今回の選挙、三宅洋平の言葉、歌、この街、集まった人、そして自分の音楽について語り合う事が出来た時に「でもそれは幻想だったんでしょ」と決して言われたくない。だからこそブームで終わらせてはいけない、そのバスに乗り遅れはない、まだ始まったばかりなのだから。そして同時に母親に投げかけた剣山のような言葉を反省する、自分の生き方を娘に伝える難しさを感じているからだ。 本当に国をよくする候補は誰なのか、じっくり考えようと思う、常に入り口は開かれているはずだ。 投票日は7月21日だ。 text by Tai-shi(Fullmember)
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kei kumazawa

kei kumazawa

Gaimgraphics所属 1981s 山形県出身 久米川DOPE MUSIC BAR FOGGYにて開催される「LOTUS EATER」にDJとして参加

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